石田淳一展 –静物画という群像劇–  2017







(東美アートフェア 春風洞画廊ブース 10/13-10/15)









(春風洞画廊 10/19-10/28)








(画室内、制作風景)







(個展挨拶)

静物画という群像劇



今私が描いた『もの』たちは、それぞれに『過去』を超え『現在』があり『未来』が来ます。そして縁あって私の元に集まって来ました。
勿論『もの』には意思は無いでしょう。しかし、私は『もの』たちにはそれぞれ『色々な表情』があると感じています。画室の窓からから差し込む豊かな自然光を私と供に浴びながら、時間や天候によって変化する表情を一つずつ拾い集めたくなります。『もの』たちが集まる時、それはあたかも人間の佇まいや空気が漂う風景の様でもあります。そんな事を感じながら『静物画という群像劇』のイメージが湧きました。

静物画の主人公たちは、我慢強く私との対話に向き合ってくれます。また、『もの』たちとのじかんはどこまでも掘り下げる事が出来る懐の深さがあり、『静物画』という『過去』と『過ぎ去ろうとする今現在の時間』と自身との接点を認識する為の測量としての意味もある様に思えます。

絵を描いてゆくかなで、モチーフたちの変化する表情、その時々に欲した事、思い感じた事を今この目の前に召喚する様な気持ちで絵の具を重ね直します。そしてその行為そのものの『手応えから来るリアリティ』は、必ずしも一枚の絵を写実的な絵画として成立させるる意味での進行度合いとは共存してくれない事が多分にあります。むし、邪魔をする場合もあります。

しかし、敢えてその時々の矛盾へ向き合う事が『自身の信じる絵』に近づく様に思えます。そして何より、これらは一見すると無駄の多い行為であり、それが絵に『かたち(図像)』としては表出することの無い性質ですが、ここにこそ表現に厚みや奥行きを与えてくれる要素が潜むと私は信じています。
物を眼前にして、自己の思想と絵を描くという行為から来る体感(リアリティ)を物質である絵の具とキャンバスに定着させたいのです。

どこか追い付かない様なスピード感を纏う時代だからこそ、この無駄にも見える行為そのものが底から鈍い光を放つ瞬間を信じ、願っています。
どうかご高覧賜ります様、宜しくお願い申し上げます。


2017年10月
石田 淳一