ある日 - trace of life - 石田淳一展

 








(一番星画廊 第1回 2020.11/14-11/28、第2回 2020.12/12-12/26、第3回 2021.2/6-2/20)







(画室、制作風景)




(個展挨拶)

ある日

この度、ドローイング展をさせて頂くことになりました。きっかけは、2019年の秋頃だったと思います。一番星画廊さんから一年を通してドローイングをしてみないからと言うお話から始まりました。普段から筆の進みが遅い自分にはある思いがありました。それは描きたいモノが沢山あるけれど、どれもまだ『その時』ではない…と気になるモノを横目に通り過ぎてしまった過去に対する独特な鈍さのある後悔です。自分の今までとこれからを考えた時、40歳も近くなり、この思いにどこかで真剣に向き合う必要がある様にも感じていました。それはより絵を描く事に深く沈潜して行く為に必要なのではないか、と思うからです。

絵を描く人間がこんな事を言うものおかしな話ですが、敢えて言うならば『絵を描きたい』と思って絵を描くのはごく自然なことですが、それはチャレンジでもあります。その理由はどこまで描くのかのコントロールのむずかしさ、加えて『絵を描きたい』気持ちで一枚ずつ描き始めるのにはそれ相応のエネルギーを要するからです。例えばモチーフそのものと見間違えるくらいまで描くのか、他の誰かの心情に働きかける事を目指して描くのか(こればかりは最難関)、はたまた全てを求めるか…それはその時々のケースに依りますが、上述の事から気軽に一枚ずつ描き始めることを無意識に敬遠してしまう自分がいたと思います。

どこまでドローイングを続けていっても、相変わらず描き始めるモチーフと進めて行く絵との向き合い方には振り回される日々でした。『絵を描きたい』という気持ちは如何なる環境、場合にあっても生かしてやらなければ、『その時にしか生まれない何か』を逃してしまうと言う自明の理を体感しています。何より、図らずも2020年は嵐の様な年でした。社会の変化と無関係に篭って制作する日々ですが、制作そのものへのコロナの影響は否定出来ず、自分のドローイングにも小さな変化があったと感じています。

絵を描く者としてこの『当たり前』を新鮮に感じることの大切さをこの歳にして実感できた事は今後の制作にも活かせるものと信じています。366点超を3回の会期に分けた自身の展覧会は空前絶後と言えるかも知れません。僕にとって『ある日』の欠片が並ぶ事は、大変勇気が要りました。自分を再発見することになった、一年間の記録です。御高覧賜ります様、どうか宜しくお願い申し上げます。


石田淳一