Philosophy
眼で触る様に視て、塑像を造形する様に絵の具を重ね、その時々の自身の変化、モチーフたちの置かれる環境の変化にも波長を合わせて『絵らしい絵』を描きたいと思っています。
例えば静物画を制作する事について、私が描くものたちは、それぞれに過去を超え現在があり未来が来ます。そして縁あって今、私の元に集まって来ました。勿論ものには意思は無いでしょう。しかし、私はものたちにはそれぞれ『色々な表情』があると感じています。画室の窓から射し込む豊かな自然光を私と共に浴びながら、時間や天候によって変化する表情を一つずつ拾い集めたくなります。それだけでなく、絵を描く私もまた、生身であり変化もあります。
静物画の主人公たちは、我慢強く私との対話に向き合ってくれます。また、ものたちとの時間はどこまでも掘り下げる事が出来る懐の深さがあり、静物画という『過去』と『過ぎ去ろうとする今現在の時間』と自身との接点を認識する為の測量の意味もある様に思えます。
自分にとって、関わったものとの間に『生じた関係』、その『距離感』は決して測りきれるものではありません。絵を描くことでその関係性を伸縮させて、結局はその距離感を自分の納得できる地点に落とし込むようにしている気がしています。
絵を描いてゆくなかで、モチーフたちの変化する表情、私自身がその時々に欲した事、思い感じた事をこの目の前に召喚する様な気持ちで絵の具を重ね直します。そしてその行為そのものの『手応えから来るリアリティ』は、必ずしも一枚の絵を写実的な絵画として成立させる意味での進行度合いとは共存してくれない事が多分にあります。むしろ邪魔をする場合もあります。
私の制作は絵柄としての着地点は写実的な要素を持つという事に自覚はありますが、絵の具を重ねるその刹那、その瞬間に起こる自身の時間の新陳代謝を大切にしたいのです。それはある意味では細切れの時間の切り貼りをしている感覚でもあります。ですが、その細切れの境目をぼかしたり綺麗な繋ぎ止めを施す事を求めるものでもないのです。
しかし、敢えてその時々の矛盾へ向き合う事が『自身の信じる絵』に近づく様に思えます。そして何より、これらは一見すると無駄の多い行為であり、ここにこそ表現に厚みや奥行きを与えてくれる要素が潜むと私は信じています。
物を眼前にして、自己の思想と絵を描くという行為から来る体感(リアリティ)を物質である絵の具とキャンバスに定着させたいのです。
近年物凄いスピードで物事が進んでいると感じられますが、今それに対して自分はどの様に向き合うのかを先ずは己に問う様な気持ちで制作をしています。どこか追いつかない様なスピード感を纏う時代だからこそ、この無駄にも見える行為そのものが底から鈍い光を放つ瞬間を信じ、願っています。
石田 淳一